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恋愛に絆されやすい人間だった。小学校の頃していたのは恋愛かどうか定かでなかった。見た目がたまたま気に入っているにすぎなかった。中学のとき、初めて恋人ができた。恋人というより、恋という概念に近かった。別れるまでの落ち続ける砂時計をただ眺めているような恋愛をした。友だちでいてほしいという言葉を多用するようになった。人を振るときには必ず偽善のように友だちでいてほしいと加えた。その後友だちでいるかはどうでもよかった。むしろ、言葉を交わすのが億劫だった。告白さえしなければ、関係が崩れることもないのに、と思いながら話さなくなった人間を授業中外の景色を見るついでに視界に入れた。私を好きだという人間が家に帰って、私のことを考えているとしたらそれは不思議な感覚だった。私を介して恋愛という概念をその人間が考えていたのだということをぼんやりと想像しては空虚な気持ちになった。中学のとき、まったく話したこともないのに、なんとなく目で追ってしまう人間がいた。これは何だろうと一度、脳で考えてから、3か月ほどしてあれは一目ぼれだったかもしれないと思った。今から考えるとそれは螺旋階段の曲線に見惚れるようなものだった。恋愛を繰り返すたびに、以前の恋人よりも今の恋人を好きな具合のほうが高いと感覚的に感じるような人間だった。好きになった人間に好意を寄せている態度をとると、自然と関係が深まっていった。NPCに話しかけるたびに好感度が上がっていくようなものだった。人の負の感情がかなり苦手だった。他人であっても声を荒げられているのを見ると昔は動悸が止まらなかった。声を荒げたほうと荒げられたほうが、問題がどこかしらに帰着したように言葉を交わすのを見ても、私は動悸を止めることができなかった。何気ないことで心臓が壊れた。涙腺が壊れた。暗い音楽が好きだった。ふさいでいるときには顕著に暗い曲を聴きたいという意識が浮上したが、そうでなくても暗い曲は好きだった。明るい曲は嘘っぽくて嫌いだった。ピエロみたいな笑みを浮かべられているような気がして、薄気味悪かった。いくつかの恋愛を経て、恋人を唯一定義できるものは世界でただ一人、その人のために死ぬことができるという未来志向的かつ操作的な定義だった。自分のために死ぬことができるかはわからなかった。私は自殺したことがなかった。ただ、私は自分ひとりでいるよりも、恋愛に関する諸問題のほうで苦しみを抱えることが多かった。先に私の命を奪うものがあるとしたら、それは自己の中で完結しうる要因ではなく、他者から与えられる要因だろうと思った。過去の私は恋愛に疲れ切っていた。しかし、疲れ切るようなものはすでに恋愛ではないのかもしれなかった。今となってはどうだっていいことだった。今夜は原因のよくわからない振戦が起こり、空腹のためかもしれないと過食し、のどの渇きかもしれないと水を飲んだが、どうにも収まらないので、曲を聴いたり、こうして文章を書き殴ったりして、時の経過を待っているのだった。暗い曲を聴きたい気持ちが強かった。赦される、赦されないという言葉が頭の中を蠅みたいに飛び交って、居心地が悪かった。恋人に文章を褒められるのはわからないことだった。私の文章が美しく見えるとしたらそれは情景の問題だった。私は情景が眼前に浮かぶような感情に作用するような文章を心掛けているので、たまたまそういう文章に見えるのかもしれなかった。私は伝えたいあることがあったとして、それを美しい文章に変えるような能力はまったく持ち合わせていないのだった。たまたま書いて美しく出来上がったと自らが少なくとも判断したものを他人の目にさらしているのにすぎなかった。振戦の原因は様々なものが考えられた。ある一定の栄養が不足しているか、それともたまたま飲んだ栄養ドリンクが体に合っていなかったとか、最近煙草を吸っていなかったことによる離脱症状かそれとも、最近まったく食料を口にしなかったために慢性的に空腹になっているか、挙げればきりがなかった。わかったところで意味もないことだった。精神的には死にたいとは思わないが、今の身体状態が続くことを考えると、死んでも悪くないような気持になっていた。薬を大量に飲みすぎた次の日のような感覚がしていた。それともこの振戦の感覚自体、幻覚かもしれなかった。身体の内部に虫が這うような感覚だった。懐かしいような気もした。私はもともと自分が救われるために文章を書いていたような気がした。それが認められるまでいつも自分を引き擦り回して、のたうち回るような存在だった。時折心地よい痛みを見つけてはそれを美しさと表現するような愚かな人間だった。