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高校生の頃、3時半くらいまで学校があり、そこから6時くらいまで部活をし、そこから10時くらいまで勉強するというのが習慣だった、そこから10時半に家に着き、ご飯を食べ、お風呂に入って、すぐに眠り、6時45分くらいに起きて、1時間半かけて高校に行き、その繰り返しだった。勉強は程良く出来た方だった。学年で20番以内に入っていれば妥当だった。兄は学年で10番以内に入っていたから、その中に入るのが夢だった。女の子で10番以内に入っているのはせいぜい1人か2人でそれは実質県内で1番勉強のできる女の子になることでもあった。当時私のアイデンティティは良い成績を収めることとなっており、兄にお前が俺に勝つことは無理だよと言い続けてきた、もちろんこれは兄自身の自己の確立のために放った言葉でもあった、ために無理だよと言われるとつい遂行するまで努力するくせがある。この目標は私が学校に行かなくなって無事達成されなくなるわけだが、両親はやれば出来る子というのをことあるごとに言いたがる。できなくてもあなたはあなただよ、ということは言わずに、今はできていないけどそれは本当のあなたじゃない、あなたはやれば出来るのだから、と言いたがるが、実は私の意欲の向上は後者からではなく、前者から図られるものだということを彼らは知らない。後者はむしろやる気の阻害を生むものでもある。つまらない雑談だった。1週間ほど前に夢を見た。起きたときに動悸が酷く、ああ、実際にそのようなことが起きたとき私はそのようになってしまうのだと実感できた夢でもあった。一人の同級生にもう一度会う夢で、学校で再会をする夢だった。私は自分の席に座ろうとするけれど、後ろにはその人がいて、どうしてその人がいるのか分からず、空いている別の席に何度も座ろうとするが、その人がどこまでもついてくるので、教室をとび出す。すると

廊下には運悪く誰もおらず、その人は静かに冷たい笑みで、会って欲しい人がいるの、と口にする。私は夢であるので、それが男の人で、私を強姦殺人する人であるのが感覚的に納得できていた、誰も居ない場所で彼女と一対一で話すというのは恐怖だった。私は死を恐れてはいないはずなのに、何に恐怖をしているのか分からなかった。私は電車で足を蹴られたときも、街で突然声をかけられるときもその人、もしくはその人が委託した何者かによる事案だと考えていた時期があり、遠くから来る他人が全員その人に見えて、近づいて一人一人顔が違うのを確認するまで安心できないということが昔あったのを思い出した。生憎、誰かに頼ることができるというのは嘘で、私はこのような自分自身により近い経験をしたとき、他人の介入によって状況が悪化することを恐れる。両親は忘れろとか怖くないというようなことをいうが、抑圧の代償はどのようなものかを知らずに言っていて、頼りにならない人、というのは私の中では無知か無責任のどちらかもしくはその両方の要素を内包していることが多い。一度だけカウンセラーにこの話をしたことがあったが、酷く重苦しい表情をしていて、私が逆に笑わなければいけないような強迫に追われた。仲の良い人に話をしたことがあった、その話もう8回目だよと言われたのに、何を話しているのか記憶がないので、本当に8回目なのかよく分からなかった。そのような人たちは良い意味でも悪い意味でも相づち以外の何者をも返さない。仲の良い人に至ってはおそらく聞いていないと思う。けれど、この前夢を見て、同時の私の恐怖はこれほどまでに強かったのだと思った。教師を名乗る資格のない人間が今だに存在しているけれど、忘れなければ、私はこの理不尽をどこにもぶつけることができない。つまらない話だった、少し疲れた